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五井野正博士の世界

『雨中の大橋』の中の日本文字の解読K

14本のひまわりは結婚の花

浮世絵から『ひまわり』が描かれた!

 「浮世絵を見る習慣がつくと、花束を飾ったり、さらに花の作品を作ったりすることがわかるだろう」
(末妹ウィミレーン宛 W7 アルル1888年9月8日頃)
 この手紙が書かれた時には、4点の『向日葵』の絵の内1?2点が出来上がっていた。
 ゴッホにとって花束の絵は特別だった。
 つまり1880年にゴッホが伝道師の道に失望し、画家の道を志して素描を描き始めてから1886年のパリ時代に入るまでの5〜6年間の間にゴッホが花束の作品を描いたのはなんと素描を含めても1884年に描かれた1〜2点の作品だけであった。
 つまり、その花束の絵は図1の作品であるが、見る限り背景が暗く、全体的な明度も低い。
 いわば、まだ印象派の洗礼を受けていない古典的絵画の手法の作品とも言えるものだ。
 ところがパリ時代に入ると、数十枚とも言える数多くの花束の作品を描くようになり、その色彩は鮮やかで明るい。(図2・図3・図4)
 将にゴッホの書簡で述べているように、浮世絵の影響によって花の作品が明るく描かれるようになったのである。
 パリ1886〜1887年の2年間は弟テオとの共同生活の為、テオが夏の休暇で帰省した時にゴッホからテオに出された3通の手紙や、末妹や友人に出した何通かの手紙しか残されていない。
 ゆえにパリでのゴッホの生活模様や絵画作品の正確な制作日が研究者にとって全く分からない。
 そのわずかの資料から、1886年夏にパリでの最初のテオに宛てた手紙を見ると、
 「白い百合の花の絵で?黒の背景に白とピンクと緑だ。君も知っている螺鈿を象眼した日本の漆器を感じさせるものだ」
 と、日本の漆器を意識した花束の絵についての記述が見つかる。
 つまり1886年3月にゴッホがパリに来てから、その年は末妹に宛てた手紙によるとゴッホは花束の絵ばかり描いていたようだ。
 「去年は灰色以外の色合い―つまりピンクや、柔らかで鮮烈な緑、明るい青、すみれ色、黄色、オレンジ、熟した赤―を使うことに慣れる為に、僕はほとんど花束しか描かなかった。」
(末妹ウィミレーン宛 W1 1887年夏|秋)


浮世絵の色彩の訓練が花束作品

 パリ時代以前となると、例えば1884〜1885年のニューネンの時代に描いた絵画の場合、ゴッホはミレーの絵画を理想とした為に、農夫の生活(図5)や農婦の頭部(図6)、人物像などを数多く描いたのだが、ゴッホが末妹に述べたように、そのほとんどの色彩は暗い灰褐色系色で、パリ時代の明るいピンクや青や黄色等の花束の絵画と比べると明らかに異質なものである。
 つまり、ゴッホはパリ時代において印象派の洗礼を受け、浮世絵のコレクションをすることによって画法も色彩も変わったのである。
 1886年3月にパリにやってきたゴッホはコルモン塾で浮世絵大好きのロートレックやベルナールに出会い、さらに浮世絵を通してジャポニスム(日本主義)を若い画家達に教えていたタンギー爺さんに出会った。
 つまり、シーンからクレポンを見せられた時と同じような浮世絵の影響を再びパリの地で受けるのである。
 そして1887年秋頃に友人のリーヴェンスに出した手紙では、
「油絵で色彩の為の習作のシリーズを描いた?ほとんどが花の絵で、赤いけしの花、青い矢車菊と忘れな草、白とばら色のばら、黄色の菊など?青とオレンジ、赤と緑、黄と紫といった対照色によって、きつい極端色が調和されてる中間色に混和した調子を出そうとした。
灰色の調和ではない、強烈な色彩による効果を出そうとしたのだ。こうした訓練をしたあとで、最近、頭部を2枚描いたが、明るさの面でも、色彩の面でも、以前に僕が描いたのよりも優れていると言えるものだ」
 とあり、色彩の訓練の為に花束の絵を描いていた事が分かる。
 その色彩の訓練とは、末妹の手紙から浮世絵の色彩を学ぶ為なのである。

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そして、ゴッホのみならず印象派の画家は浮世絵の色彩から大きな影響を受けていたのである。
つまり従来の西洋画はパレット上で色を混色してキャンバスに塗るのだが、これだと明度は落ちてしまう。
ところが浮世絵は色を混色しないで、そのまま紙に刷りこむ為に明るい単色の鮮やかな色となる。
ゴッホが何故、いきなり絵の具のチューブからそのままキャンバスに塗りたくったかの謎は今まで誰にも解き明かされていなかったのだが、この浮世絵の色ののせ方の技法を知れば、ゴッホが浮世絵から色を忠実に学んでいた為だとわかるのである。
そして秋に入ると、ゴッホはジャポネズリの4枚の連作を描き始める。 その連作の中で『雨中の大橋』(図7)と『花咲く梅の木』(図8)には浮世絵を写し描くだけでなく、絵の廻りに日本文字を書き込んだ。
その4枚の連作の絵画に描かれた文字や図柄を解読すると、ゴッホは必然的に南フランスに行かざる得なかった事が分かってくるのだが、ゴッホは友人のリーヴェンスやテオに予告したとおり、1888年の2月に南フランスのアルルに新天地を求めて移住する。

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『向日葵』は油絵の浮世絵

 それから半年後、アルルの地に根づいたゴッホは1888年8月8日水曜日、テオ宛の手紙で
「僕はまだここで花束を描いていないのが残念だ」(書簡519)
 と記述する。
 パリ時代にあれほど花束の絵を描いたのだが、アルルに来てから半年くらい経つというのに、ゴッホは未だに花束の絵を描いていなかった。
 しかし、この手紙が出された1〜2週間後に向日葵の花束がついに描かれるのである。
「今3枚の画布を制作中である。一つは、緑の花瓶に三輪の大きな花の明るい背景の十五号(図9)、二つ目は、濃紺の背景に種子のあるのと葉を取ったのと、つぼみのと三輪の花がある絵二十五号(図10)、三つ目は、黄色の花瓶に十二輪の花とつぼみで三十号のものである。(図11)

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最後のものは明るい色が明るい色の上に重なっているのだが、これを最良の作品としたい」(書簡526 1888年8月21日頃)
 この手紙が出された2週間後に冒頭で記述したところの末妹に宛てた手紙となるのだが、これによってゴッホは浮世絵から向日葵の絵を描いたことが解かるのである。
つまり、アルル時代に描かれた向日葵の絵を見ると、パリ時代の向日葵(図12)や花束の絵とは全く違う事がわかる。
つまり線で輪郭を表現している。将に浮世絵の手法なのである。
そして数日後には4枚目の向日葵に取りかかる。(図13)
「今はもう4つめの向日葵に取り組んでいる。この4つ目は黄色の背景に中に14本の花束があるもの」(書簡527 アルル 1888年8月26日頃)
14本の向日葵の絵は、3本や6本の向日葵の絵と比べて、更に浮世絵化している絵になっている。
つまり3本や13本の絵は暗赤色の線で輪郭を取っていると言え、まだ絵の具のムラな厚みが油絵タッチの印象を与える。
ところが14本の向日葵は絵の具の塗り方が水彩の様に彩度を低くして平面的かつ色が均一している。
その分、境界を分けるラインが目立って油絵というよりは漫画チックな絵の印象を受けてしまう。
しかし、これこそがゴッホの意図とするところなのである。
「僕は他の画家達が日本(japonaise)よりも、もっと透明感のある世界の中で、そしてもっと強烈な日差しのもとで色彩を見たがるのが予想出来るのだ」
(書簡538 アルル 1888年9月17日)
つまりこのゴッホの言葉の中に、浮世絵よりももっと透明感のある強い光の色彩効果の絵を描こうとするゴッホの狙いが感じられる。
そしてこの手紙の1両日後に2点の『向日葵』の絵が完成する。
さらに向日葵の4点の絵が全部完成すると、ゴッホはテオに、
「君と僕とでやはり浮世絵の様な本画を作っているんだ」(書簡555 アルル 1888年10月)
と記述する。
つまり14本の向日葵は透明感のある明るい水彩画の様であるが、この水彩画の様な油絵こそ将に油絵による浮世絵なのである。
そしてゴッホは更に書簡528で、14本の向日葵のモチーフについて、
「黄緑を背景とした十四本の新しい花束の絵がある。これは既に君の手元にあるマルメロの実とレモンのある静物画とまったく同じような効果をねらったものだが」
と記述する。
ここに14本の向日葵が実は何故15輪になっているかの秘密の鍵が隠されていたのである!!
つづく


              
五井野 正 (ごいの ただし) 科学者・芸術家
ウィッピー総合研究所 所長 / ロシア国立芸術アカデミー名誉正会員
スペイン王立薬学アカデミー会員 / アルメニア国立科学アカデミー会員
フランス芸術文化勲章受章
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