北方四島は日本に戻るはずだった!!
五井野教授の北方四島返還計画をロシア政府が推し進めていたのに…
3月11日の鈴木宗男議員の証人喚問で友好の家(ムネオハウス)など北方四島支援事業の疑惑に対し、鈴木議員は北方領土返還運動のためと主張したが、しかし次々と北方領土返還不要とも言うべき発言が外務省のメモで明らかにされた。
そして鈴木議員、佐藤優氏等の妨害がなければ北方四島は日本に戻ったかも知れないという新事実を、「あおぽ」は日ロ双方の取材により情報をキャッチしたのである。
つまり1997年11月、クラスノヤルスクでの橋本首相(当時)とエリツィン大統領(当時)の日ロ首脳会談で具体的に北方四島返還の話が出たという秘情報が飛び込んできたのだ。
北方領土は日本に返還される可能性があった!
ロシア会談の公式な発表では、北方四島に日ロ双方の資本投資による経済協力プラン(エリツィン・橋本プラン)が決められ、燃料エネルギーに始まり宇宙事業にまで及んだ内容である。
ところが、この非公式会談の裏には、北方領土が日本に返還される可能性があったという真実が隠されていたというのだ!
それは本誌300号で紹介した歌川正国こと五井野正教授の提案する北方四島10年後返還という提案書(ウイッピータイムス9号に全文掲載)にそって、日ロ平和条約締結と同時に北方四島に年間2千億円、10年間で2兆円を投資して、宇宙事業を含む日ロ文化・観光共同事業となる北方四島芸術の島造り計画が、水面下で進められていたという話である。
この五井野教授の提案書とは平成8年11月26日、日本で開催された日ロ国交回復40周年記念式典の会議で、ロシア側代表団7名に対して三塚博大蔵大臣(当時)、桜内義雄元衆議院議長ら出席の日ロ記念会議に特別ゲストとして同席した五井野教授が、その会談後に日ロ平和条約の締結と北方四島領土問題解決の提案書を日ロ双方に提出し、その後、この提案書はプリマコフ外務大臣(当時)、ロシア国会下院議長、そして五井野教授独自のルートでエリツィン大統領にも渡され、日・米・ロの300の提案の中で最高の提案と絶大なる評価を受けたのである。
医学分野においても世界から注目の五井野教授・20世紀のレオナルド・ダヴィンチと評価!!
平成11年からデンマーク・コペンハーゲン大学でGPによるガン細胞及びマウス実験が開始され、驚異的効果を得たとしてデンマークのトップの新聞ポリチケン紙が第一面で掲載、国営ラジオも何度も報道、さらにヨーロッパでも報道された事から、五井野教授は旧ソ連邦の国々だけでなく、ヨーロッパ諸国でも注目を集めている。
また翌12年の7月には、デンマークの医薬品安全局から自然薬では難しいとも言われた治験医薬品に認可登録され、同年11月頃からGPによる臨床試験がコペンハーゲン大学の中央病院で開始された。
コレステロールや糖尿病にも驚くべき結果が出たので、その成果は昨年9月9日から米国・ニューヨークで開催された第14回脂質代謝国際医学シンポジウムで、GPの優れた効果が公開発表されたのである。
この国際医学シンポジウムにはファイザー製薬やバイエル等の世界の強大な国際医薬企業がズラリと並び、そして米国心臓学会や欧州動脈硬化協会など有名な学術団体が協賛しており、GPの発表データ表が瞬く間に無くなるほどの注目を集め、後日にはヨーロッパの大手製薬会社や保険会社など数社から申し入れが相次いだ。
このように五井野教授は医学分野においても天才的才能を発揮し、世界から注目を集めているが、実は、平成8年エリツィン大統領の心臓病の容体が悪化した時、最後の頼みとして大統領府からGPが極秘に要請され、その為、五井野教授は極秘でモスクワにロシアの特別VIPとして出向き、エリツィン大統領側近にGPを渡した事から、エリツィン大統領との深い信頼の絆が生まれたと言われている。
その後のエリツィン大統領が奇跡的に政治復帰したという事実は、世界の人々の知るところだろう。
さらにクレムリン病院で別の重病の心臓病患者(大統領経済顧問)をGPによって奇跡的に治し、心臓のバイパス手術が中止になったほど健康を回復させ、ロシア医学界からも注目を浴びているのだ。
また五井野教授は平成7年にサンクトペテルブルグのソプチャック知事(当時)と会談し、911(民間救助機構)の必要性と設立を呼びかけ、平成8年当時、副知事だったプーチン現大統領と協力して911を設立させている。
また五井野教授は平成7年9月にアルメニア大統領から在日アルメニア名誉領事に任命されたが、日本外務省内で五井野教授の活躍を良しと思わない組織の妨害が起き、平成8年以降に日本外務省名を語って五井野教授を虚偽の中傷で、アルメニア外務省に無礼な拒否行動を起こす等の事件が起きた。
それに驚いたアルメニア大統領はエリツィン大統領に相談すると、エリツィン大統領はこの妨害組織団体をカルトと認識して、ロシアから排除する為の法案制立のきっかけにまでなったと言われている。
この五井野教授の在日アルメニア名誉領事就任妨害事件によって、アルメニアだけでなく、エリツィン大統領と日本の外務省との信頼関係さえも失われる事になった。
そしてロシア大統領府は、五井野教授を日本外務省が認めなくても、今もアルメニア名誉領事の様に対応評価しているという事で、またアルメニアにおいても、つい最近でも政府系新聞に五井野教授について大きく特集されている位のヒーローなのである。
つまり、北方四島はソ連からロシアに移属したが、ソ連邦解体後においても旧ソ連邦のロシア、ウクライナ、アルメニア等の国々が集まってCISが結成され、北方四島返還は道義的にはCISの問題ともからんで、そのCISの国々から20世紀のレオナルド・ダヴィンチと評価されている五井野教授の提案だからこそ、ロシア側は受け入れられるという話もあるのだ。
それは日ロ40周年記念式典のロシア一行団事務局長のエリョーミン氏が「クリル4島(北方四島)はあの日本人には返さないが、五井野教授なら返そうと言うのが、ロシアの考え方だ」
と五井野教授に語ったと言われている事からも理解される。
(左から)
■総理大臣官邸で、コチャリン大統領との首脳会談を行う小泉元総理
■平成13年12月19日(水)から22日(土)までの公式実務訪問賓客として、随員とともに日本を訪問するアルメニア共和国ロベルト・コチャリン大統領とともに、飛行機で日本へ向かう五井野教授・博士
■平成7年9月、アルメニア大統領(右)と会談し在日アルメニア名誉領事に任命され、日本外務省に公式に通達された。
その様な流れの中で、平成9年1月に北方四島問題で一番ネックといわれるロシア国会内の地政学委員会で五井野教授が演説する事になった。
成田を発つ前日に、外務省筋の重要人物と会い、五井野教授はロシア国会では北方四島に10年間にわたって総額1兆円の投資を述べるが、日ロ平和条約締結の段階までに金額がどんどん上乗せられる事も考えて、最終的にどの位の金額まで日本が出せるのかと話し合った結果、2兆円まで可能という確約を得て、ロシアに向かった。
ロシア国会は始めから北方領土返還には一切応じないという厳しい意見が飛び交う中で、五井野教授が北方四島の芸術の島計画の提案を述べると雰囲気はガラリと変わって、委員会のメンバーから拍手喝采を浴び、特にブルブリス副委員長・元国務長官は興奮して、あらかじめ予定した原稿を読まないで、五井野教授を称賛し、最後に「これからは民間平和条約で話を進めてゆこう」と五井野教授の提案を支持して、会議は終了したという事である。
その後、同年3月4日付けでロシア国会外務委員会のルキン委員長から五井野教授宛に、公式に五井野教授の提案を支持する文章が送られた。
そして、同年6月にはエリツィン大統領もロシアのTVニュースで、この五井野教授の北方四島を日ロ両国で芸術の島として文化的、平和的に管理するという具体的提案を高く評価する発言をしたのだ。
同年10月2日CIS加盟国のベラルーシ出身でベラルーシ大統領とも親しく、ロシアのジュコフスキー宇宙空軍アカデミー総裁で宇宙飛行を3回経験したコバリョノク空軍大将が五井野教授の招待で来日し、小渕外務大臣等と会い、長野県大町市にあるウイッピー総合研究所と歌川派門人会本部を訪れた。
この頃の日本の状況として、週刊文春の平成14年3月7日号では鈴木議員が平成9年秋に「北方領土なんて返って来たら迷惑だ。30兆もの資金をつぎこまなければならないが、それだけの見返りはない」と発言したという事が掲載されている様に、五井野教授の提案に否定的な意見が政府の中にもあった。
しかし、それよりも問題なのは、この頃五井野教授が何度も拉致されそうになったという事件が続出した事にある。
そして平成9年11月クラスノヤルスクでのエリツィン・橋本会談が行われた。その後すぐに、特使としてブルブリス元国務長官が五井野教授の招待で同年11月22日に来日した。
このブルブリス元国務長官に、モスクワで執拗に五井野教授の虚偽の中傷を述べて、ブルブリス議員の訪日を止めようとしたのが、あの佐藤前主任分析官なのだ。
しかし、ブルブリス議員は佐藤前主任分析官の言動を疑い、逆に五井野教授を信じて来日した。
来日前に五井野教授は野呂田日ロ議員連盟事務局長と会って、国会議員20〜30名位がウイッピー総合研究所主催のブルブリス元国務長官歓迎パーティーに出席してもらえる手はずを整えたのだが、鈴木宗男議員等が根回しして妨害したそうで、結局、亀井元建設大臣だけが出席、さらに橋本首相(当時)にもブルブリス議員が首相に会いたがっていない等の虚偽を述べて、首相との会談が実現されなくなったという事で、これによって北方四島返還のシナリオが次々と壊され始めたという事である。
つまりブルブリス元国務長官は五井野教授の北方四島の提案の実現化に向けて、日本政府側の下ならしに来たという事であり、帰国すれば第一副首相の座が約束されていたと本人が語っていた様である。
ロシア側は日本でのクラスノヤルスクに続く日本での非公式会談場所を長野と希望していた。
つまり長野県大町市には五井野教授主宰のウイッピー総合研究所があり、そこを在日アルメニア名誉領事館と希望したい旨を、アルメニアや日本外務省に知らせていたからである。
ところが日本側の意向は始めは北海道を希望し、後に静岡県川奈となったが、長野県をはずすなど、ロシア側の提案とは逆に北方領土は返らなくてもいいから始めに国境線を引き、前倒しで2千億円(当時のレートで14億ドル)出すなどの逆提案を出した様である。
エリツィン大統領は訪日の前に、この様な日本側の意向を受けたチェルノムイルジン首相を解任して、ロシアの法律にのっとり、首相不在の時は大統領は国外にでてはいけないという規定から川奈会談をボイコットしようとしたのではないかとも言われている。
そこで五井野教授は大統領府に同行の取材記者と共に呼ばれ、
「エリツィン大統領は間違いなく長野のあなたのところへ行く予定だった」
と述べ、エリツィン大統領は五井野教授の10年後返還の提案を非公式会談という形で橋本総理と共に支持する計画を描いていた事を知らせてくれた。
それに対し、五井野教授は日本側に悪質な妨害があり、その過程で日本側が示した前倒しの金額の話に関しては新聞に載った位だから確実であると言い切った。
そこで大統領は五井野教授を信用して、非公式な形で静岡県川奈に行く事になったのではないかと同行記者が語る。
そして川奈において橋本総理から国境線画定の逆提案が出され、エリツィン大統領はこの提案を面白いと述べモスクワで回答を出すと約束した。
しかし、その後、橋本総理は総理の座を降りて故小渕恵三議員が日本の首相として25年ぶりにモスクワを訪れる事になるが、舞台は公式会談となった為に、日ロ双方の互いの立場を表明するだけとなり、北方四島返還交渉は難航し始めた。
1999年12月に北方四島問題解決は、日本側の妨害組織団体がある限り不可能と考えた五井野教授はエリツィン大統領に、「北方四島10年後返還」提案は断念してよい旨の文章を送り、その二週間後位にそれに呼応するかの様にエリツィン大統領は大統領を辞職した。
つまり、「北方四島問題を両国の友好の橋として解決して、日ロ平和条約を締結する事がエリツィン大統領の夢として、最後の仕事として肉体的な限界を超えて、がんばっていた。しかし、その夢も消えたから…」と五井野教授は心情的に語ってくれた。
その後、鈴木宗男議員の「二島先行返還」が外務省の方針となって大きく舵を切るのである!
戦後50年の外交努力は経済バブルと同じく消えた…。
以上の事実を日本国民が聞いたら驚くような、信じられない話であるが平成13年12月20日鈴木宗男議員を招いた懇談会において聴衆の一人から「北方四島は金で買えないのですか」と質問されたとき、鈴木議員は、以前は1兆や2兆で買い取る事は出来たかも知れないが今は無理という返答を行った。
具体的な金額がピッタリ一致する返答の言葉の中に、北方四島が戻ってきた可能性を鈴木宗男議員が皮肉にも肯定している事実が読みとれるのである!
いみじくも鈴木議員は、北方四島支援事業において北方四島返還のためと主張していたが、今回の鈴木宗男スキャンダルによって日ロ双方は仕切り直しをせざるを得なくなり、田中、ブレジネフ会談(1973年)の成果さえも失い始め、戦後50年の日本政府の外交努力は日本経済のバブルと同じ様に消えた。その後遺症は日本経済と同じ様に、共にずっと続くのだろうか?!
それゆえ、鈴木宗男議員は結果的に見る限り北方四島を買うことに努力するよりも、売ることに努力していたのではないかという疑惑がここに新たに生まれ、今、国民の前で売国者として裁かれているのではないだろうか?!