宇宙空軍総裁の記念パーティーに参加!!
「あおぽ」編集長
宇宙空軍アカデミー総裁・現空軍大将 V・コバリョノク氏の誕生六十周年記念パーティーに参加!!
平成14年3月3日、私「あおぽ」の編集長、石塚由紀子はロシアの宇宙空軍アカデミー総裁、現空軍大将でもあり又、かつて宇宙飛行を3回経験したV・コバリョノク総裁を取材すべくモスクワに向かった。
これはロシア自然科学アカデミーの五井野教授・博士のご協力により実現したものだ。
コバリョノク総裁は五井野教授・博士の友人であり、私は何度かお会いさせて頂いているが、貫禄充分で写真で見るのとは違い柔和で温厚な人柄の、しかも今年60歳とは思えないほど若々しく表情も生き生きとしているのである。
コバリョノク総裁の60周年記念パーティーが行なわれる
ベラルーシ出身でベラルーシの大統領とも親しく、ロシアのジュコフスキー宇宙空軍アカデミー総裁で宇宙飛行歴3回、宇宙空間滞在最高記録保持者のV・コバリョノク総裁の生誕六十周年記念パーティーがモスクワにおいて盛大に行われた。
パーティーにはベラルーシ空軍学校の先生を始め、空軍士官学校の先生、ガガーリン宇宙飛行士訓練センター所長のクリムク氏、宇宙ステーションミールの元船長のソロビヨフ氏、日本からは五井野教授・博士などそうそうたるメンバーが出席した。パーティー会場は厳かな中にも豪華なムードがただようパーティーとなった。
ガガーリン宇宙飛行士訓練センター所長のクリムク氏が「コバリョノク氏とは空軍で一緒だった。同じベラルーシ人で彼は空軍士官学校で勉強がとても出来た。同じ釜の飯を食べた仲間でもある。
彼はがんばった。一等兵から将軍までになった。そして宇宙関係功労賞をチェルタコフ氏の次に受賞した。コバリョノク氏を支えてきた人々に乾杯したい。」と、あいさつした。
また、1965年3月18日、ウオスホート2号で世界初の宇宙遊泳を行った事で知られるアレクセイ・レオーノフ氏がユーモアたっぷりと「1965年、Aー12という飛行機で、着陸した宇宙飛行船を探す練習をしていた。その時、宇宙飛行船で待っていたのが私だったが、空中から探す側がなかなか私たちを見つけられなくて、一体誰が探しているのかと思っていたら、コバリョノク氏だった。コバリョノク氏はソ連最高名誉賞を2回受賞している。また80日から85日間の宇宙滞在で体内のメカニズムがおかしくなる恐れもある飛行に望み、見事成功した。彼はとても子供を大切にする人。そして幸せを自分の手でつかむ人だ。今日は友人を全員よびましたね。コバリョノク氏とその家族に乾杯を」とあいさつすると会場内から拍手喝采がおこり、会場は笑いと拍手の渦で和やかな雰囲気に包まれた。そしてぞくぞくと恩師や友人らがあいさつし、改めてコバリョノク総裁の偉大さを感じさせられたのである。
コバリョノク総裁、五井野教授・博士へ感謝のことば
コバリョノク総裁は最後に五井野教授・博士のところに来て、「今日はきてくれてありがとう。モスクワで楽しい日々を送ってください。五井野さんがここに来てくれた事が、私の日本に対する好印象の証拠です。」と親しみをもって話しかけ、日本に対する印象として宇宙飛行中の面白いエピソードを話してくれた。
1978年に総裁が同僚のイワンチェンコ飛行士と一緒に地球の軌道をまわっていた時のこと、二人は遥か上空から地球を見おろして、特に美しいと思う場所を三つ紙に書くことにしたというのだ。コバリョノク総裁は1、ガラバゴス 2、日本 3、バイカル湖周辺。イワンチェンコ氏は、1、バイカル湖周辺 2、日本 3、キルギスタンのイルクリ湖周辺をそれぞれ選び出したそうだが、ちょうど日本は日の入りの時刻で金色に輝いて美しかったというのだ。又、「60才になって新しく生まれ変わったようだ。明日から今までのような厳しい体制の中ではなく、自由になれる。今までは50パーセントの可能性を発揮できるだけだったが、今は100パーセント発揮できるようになった。
伝統衣装(着物)は好きだ。今、日本文化を知る入り口にいる。漢字は苦手だが、浮世絵は空、海、女性、山など自然が入っていて素晴らしいと思う。」と五井野教授・博士のいる日本の素晴らしさを改めて強調してくれたのである。