『雨中の大橋』の中の日本文字の解読A
ゴッホは日本語を知っていた!
それでは論より証拠としてゴッホの『雨中の大橋』の周りの文字の解読を試みよう。
先ずは全体の漢字を見渡して、最も判読しやすいのは左側部分の漢字の様に思われる。
そこで、左側部分に書かれている漢字を判読すると「吉原八景長大屋木」と読めると思うが、「吉原八景」は元は中国の瀟湘八景から来ており、浮世絵ではゴッホコレクションにも見られる様に、「吉原八景」のタイトルで花魁の立ち姿や吉原の花魁の生活を八枚のシリーズものとして数多く出版されている。
だが、「吉原八景」の後に続く「長大屋木」という漢字は、日本語にしては意味不詳である。
しかしながら、ゴッホが西欧人である事を考えれば、「長く」「大きい」「屋木」という単語を連ねて意味を持たせたと考えれば別におかしくはない。
「屋木」という二字の連語の漢字は同じくゴッホ作『花咲く梅の木』(オランダゴッホ美術館蔵)の右側に「新吉原○大丁目屋木」という漢字が書かれているが、その下の2文字に「屋木」という漢字がはっきりと読み取れ、そこでもゴッホは「屋木」という二字の漢字を一つの連語として意味を持たせていた事が分かる。
そこで「屋木」という漢字は日本語としては一般的に使われていないが、「屋木」の「屋」は、屋号として個々の家屋敷に使われ、「屋内」とは建物の中という様に、「屋」は建物という意味を持っている。又、西欧人から見ても「○○屋」という標示は建物の標示として見て取れる事から、ゴッホは「屋」を建物として理解していたと考えて良い。
そこで「屋木」とは、「木の建物」つまり「木の建造物」という意味となり、この絵から「橋」を表している事がわかる。
そこで、「長大屋木」とは長くて大きな橋という意味に取れるので、「吉原八景長大屋木」とは「吉原八景/長い大橋」という意味の言葉になり、この絵の主題としては、日本文的ではないが、意味としては一般的に理解出来るタイトルである。
この様に意味不詳の漢字でも、ゴッホの視点で見ればゴッホの意味する言葉を日本人なら簡単に解読出来るのである。
しかし、一つ疑問が起きるであろう。
つまり、この絵の原形である広重の絵が、「大はし阿たけの夕立」のタイトルになっているのに、何故ゴッホは「はし」という言葉を使わずに「屋木」という言葉で代用したのであろうかという疑問である。
この疑問の解答こそが、この『雨中の大橋』の漢字の謎を解読する入り口となるのである。
そこで、その解答を得るには左側のタイトルと対称的な位置にある右側の文字の判読をする事にする。
「屋木」という漢字を意識しながら右側の漢字を判読すると、先ず「大黒屋錦木」と五文字の漢字が読める。
「大黒屋錦木」という漢字は同じく、ゴッホ作『花咲く梅の木』の左側の表題として再び使われている。
そこで、この「大黒屋錦木」の漢字の中の奇数順の一番目と三番、五番目を取り出してつなげると、つまり「大黒屋錦木」から大屋木という漢字が取り出され、この漢字三文字を一つの連語とすると、何と先程に述べた『雨中の大橋』の左側漢字部分の下の三文字「大屋木」と全く偶然にも一致してくるのだ。
つまり、ゴッホは少ない日本語の知識から「屋木」という日本語にはない単語をどうして創作できたのかという理由がここにあったのだが、何故「大はし」という言葉を使わないで「大黒屋錦木」の漢字を奇数順に取り出して使用したのであろうか?
そこで解析を更に押し進めて、大屋木の漢字を取った残りの文字、つまり偶数の漢字を続けて読むと偶然にも「黒錦」という漢字になる。
これは浮世絵が錦絵と呼ばれ、黒線でラインが描かれている事から、「黒錦」とは浮世絵とも取れるが、繊細な神経の持ち主のゴッホの眼には、この広重の『大はし阿たけの夕立』の図はもっと特別に見えた事だろう。
何故ならゴッホが最初に見た、この広重画の『大はし阿たけの夕立』の浮世絵の印象を「何という色だ。何という線だ」と絶句したという、シーンの記述を思い起こすからである。
そしてシーンも「雨は黒色」と印象を述べている事から、この広重の浮世絵の上部に描かれている空(天)が真っ黒に描かれ、そこから黒い雨が激しく橋の上に降り注いでいる図の印象からも「黒錦」という表現は、この広重の図にピッタリ当てはまっているからである。
つまりシーンから浮世絵を初めて見せてもらった時のゴッホは、きっと、この広重の絵を見て真っ黒な雲が空を覆っていると見たであろう。
しかし、浮世絵では上下の事を天地と呼び、上部(天)の横一色の彩色を「一文字ぼかし」と呼んで、真っ黒な雲ではなく天の気色を表現しているのである。
例えば、ゴッホの浮世絵コレクションで「花鳥風月の内/花」(ゴッホ美術館カタログNo211)の絵は、室内であるが壁の上側(天)は黒の一文字ぼかしとなっている。
これは天井が暗闇になっているという事を表現して、決して空とか雲の色ではないのだ。
しかし日本のある有名な美術館には、「一文字ぼかし」の浮世絵の決まりを破って逆にゴッホの影響(ゴッホ没後の明治、大正版)を受けたと思われる様な、天を黒々とした雲がたなびいている様の『大はし阿たけの夕立』が所蔵され、優品として美術誌に紹介されている。
日本は明治に浮世絵を二束三文でほとんど外国に売ってしまい、その美術的価値に気が付くのは大正時代に入ってからであり、その時、既にほとんどの浮世絵の優品は海外の美術館に収蔵されてしまい、後から収集出来ると言えば一流のコレクションから外れた、その様なものが日本の美術館に収まったかもしれないのだ。
また初刷りの作品であっても、必ずしも初版という意味ではなく、後版初刷りとして刷られたものを初版初刷りの如くに言うコレクターや美術商にも大きな問題があるかもしれない。
そして広重の名所江戸百景は一枚一枚売られたのではなく、目録が付いた本として当時は主に貸本屋向けに出版されたものであり、ゆえに同じく広重の有名な「東海道五十三次」も、目録を付けた本として半分に折り畳まれて出版された為に、浮世絵の真ん中に折れた跡が残されていなければ初版とは厳密に言えないのである。
ゆえに折れがなく、トリミングがない完全状態の浮世絵は外国人向けに後から刷られたものが多いのだが、浮世絵の科学的研究が遅れている今日、かえって完品の美術品として価格も非常に高く売られている場合が多い。
しかしゴッホが手にした「大はし阿たけの夕立」は黒の一文字ぼかしとなっており、それは天の気色が黒であることを表現し、この場合、夜を意味するか、もしくは闇を表現しているのである。
「黒と白もまた色彩であるというだけでもう充分だ。多くの場合、黒と白は色彩と考えられるし、二つを並べた対照は例えば緑と赤の対照と同じくらい刺激的だからだ。
ところで、日本人はこれを使っている」(ベルナール宛1888年6月アルル) ベルナール宛のゴッホの書簡からも証明されるが、浮世絵が白と黒を対照的にしている事、しかも、それは緑と赤の対照と同じ位、刺激的だとゴッホは感じていたのである。
ゴッホにこの様に言わせた刺激的な黒の色彩といえば、当然、ゴッホが最初に出会った「大はし阿たけの夕立」の図をおいて他に見あたらないであろう。
ゆえに、白地に黒のラインを引く浮世絵に対して、ゴッホは同じようにして緑地に赤の文字とラインを対比させて描いているのだ。
つまり、ゴッホがこの『雨中の大橋』や『花咲く梅の木』、『花魁』で何ゆえ枠を赤で縁取ったり、個人蔵のゴッホ作『タンギー親爺の肖像』の人物やアルル時代の絵画の描写に赤のラインで描いているのか!!の謎がこの『雨中の大橋』に描かれている「大黒屋錦木」という漢字に原因があったと気が付くのだ。
ゆえに、この『雨中の大橋』や『花咲く梅の木』の図の周りを赤のラインで引いているのは、この図が単なる浮世絵の模写ではないという事を意味し、さらに『雨中の大橋』では緑地の中に漢字を赤にして、緑地の枠の内側と外側にさらに赤のラインを引いているのは、この赤の漢字も浮世絵の漢字ではなく、ゴッホの創作の漢字ですよと主張しているかの如くである。
では、ゴッホがこの「大黒屋錦木」という漢字をどうやって知ったのか、どこからこの漢字を写したのかという事をもっと色々と知りたくなるだろう。
実はこの文字の問題に対して、1992年テレビ朝日の特別番組で、ゴッホ作の『花咲く梅の木』の左右の漢字は、歌川芳盛の花魁の浮世絵からゴッホが引用した事が紹介されたので御覧になった人も多いでしょう。
つまり芳盛の浮世絵では花魁の絵が描かれ、花魁をはさんで右側に「新吉原」とあり、左側に「江戸町一丁目」「大黒屋錦木」と漢字で書かれていたのだ。
しかも、芳盛の左右の漢字がゴッホ作『花咲く梅の木』の絵の両側に同じような位置で、同じ漢字が描かれている事から、これはまさしくゴッホが芳盛のこの花魁の浮世絵に書かれている漢字をそのまま写した事は間違いない。
芳盛が浮世絵で描いたところの主題である「大黒屋錦木」の「大黒屋」は花魁や芸者の置き屋の店の名前であるが、ゴッホ作「花魁」の主題となった原画である英泉作、「雲龍打ち掛けの花魁」の図の発行元は、実は偶然にも大黒屋なのである。
英泉はこの様な花魁や芸者の置き店も経営していたというから、これは自己と関係する店の宣伝、もしくは大黒屋が英泉に絵を頼んで出版したものだと分かる。
そして、この大黒屋の置き店にいたのが「錦木」という源氏名の花魁である。ゆえに「大黒屋錦木」という漢字は一人の花魁名を指すので、一体した文字となっている。
ゆえにゴッホは、この意味を知っていたと想われ、「大黒屋」と「錦木」に分けないで「大黒屋錦木」と一体とした漢字で、この『雨中の大橋』や『花咲く梅の木』の画中横に書いているのである。
つまり私達にとって「大黒屋錦木」は単なる花魁の源氏名にしか理解しないところを、ゴッホはその文字を分解して「大黒屋錦木」の言葉の中から奇数順で「大屋木」を取って「大橋」の意味に理解し、偶数順で「黒錦」の漢字をとり、この「黒錦」を、黒の浮世絵という意味にとって、この広重の絵を夜の大橋あるいは暗闇の中の大橋と見ていたのである。