『雨中の大橋』の中の日本文字の解読D
ゴッホは娼婦と7月13日に結婚していた!!
前回、このゴッホ作『雨中の大橋』の画中右上の色紙形の中に書かれた「家内長吉女」という漢字を判読し、さらに対角上にあるもう一つの色紙形の文字が、シーンとの結婚日である7月13日の日付が書かれていた事を述べたが、今回はさらに「火内長吉女」がシーンの事を述べている、さらなる証明として、この色紙形タイトルのすぐ右横に描かれている朱色の短冊に書かれた文字を解読する。
最初の文字は非常に判読しにくいが、女偏の一字の漢字に見て、漢字辞典から似ているのは「委」「妻」「妾」「妛」「姜」が探し出せるが、「妛」や「姜」はほとんど日本語としても使用されていない文字なので除外する。
そこで判読しやすい三番目の文字に注目すると、この字は「夫」と難なく読めるだろう。
この「夫」という字の関連性や、ゴッホの浮世絵コレクションに良く使用されている「妻」と「妾」にしぼれば、最初の文字は日本語として「夫」に対応する「妻」という漢字だけとなる。
しかし、ゴッホがそこまで日本語を理解していたかは疑問な為、「妾」も一応考慮する。
すると二番目の「 」は文字にも見えず、一体何なのかと考えてしまうが…実はケの字の横線を長く引いて、その横線にイの文字を重ね合わせた隠し文字と見れば、ケイという文字に判読出来てしまう。
ケイはゴッホと会った時、主人を亡くしたばかりで、子供一人の未亡人であったが、ゴッホは恋をして求婚して断られる。
アムステルダムの実家に帰ったケイのいる家まで追いかけて結婚を申し込むが、無惨にもケイやケイの家族から断られてしまった、ゴッホの意中の人なのである。
そして失意のまま、ゴッホはオランダのハーグに行く。1881年12月の事である。
やがてハーグの港町で一人の娼婦と出会う。それがゴッホにとって運命の女性となるシーンであった。
始めはモデルに使うが、その内に同棲して愛し合う。
ゴッホはハーグから弟テオにシーンの事を理解してもらう為に、手紙を送ってシーンの事を慎重に説明する。
そして、いつも引き合いにケイの名前を対照的に出すのだ。
例えば、
「アムステルダムから戻って来た時、あんなに強く真実で、正直な僕の愛情が文字どおり殺されたのを感じた。だが死ののちには復活がある。Resurgam〔われはふたたび起たん〕。それからぼくはクリスティン(通称シーン)に出会った。躊躇や時間延ばしの余裕はなかった。僕は実行しなければならない。もし彼女と結婚しないなら、彼女をひとりにするほうが親切だったろう。」(書簡193)
「シーンが絵描き生活特有の苦労や煩わしさをすべて我慢して、いつでも喜んでポーズをするので、ぼくはケイとの結婚よりも、シーンと一緒の方が、よい芸術家になって行くと思える点だ。」(書簡204 1882年6月1日 ハーグ)
つまり、ケイとシーンはゴッホにとって時間や心理状態の連続線にあり、無情と愛情の対照的な位置にあった。
そこで色紙形の「家内長吉女」がシーンの事を例えているなら、その横のケイはカタカナで重ねて、実名で表示していると言える。
ゆえに、この短冊の中の上から三文字は「妻ケイ夫」という言葉が最もふさわしく思えるが、「妾ケイ夫」の方が筆の書体からして近い感じがする。
「妾ケイ夫」は西欧人的にいえば「愛人ケイ夫」となる。
いずれにしても、「夫」の後に続く文字はきっと夫の名前だと連想するが、数字の13やアルファベットのBに見え、日本語にはどうしても見えない。
この文字はケイの亡き夫の頭文字なのだろうか?それとも……
しかし、この夫の次にくる文字を、慎重深く判読する日本人にも判読できない暗字にしたところに、かえってゴッホの深い心境を表していると感じ取れるのだ。
何故なら、ゴッホのみならず、一般的に誰でも意中の人や心の奥にいる人の名前を、むやみに公にしたり、絵の中に書いたりはしないだろう。
又、日記に残す場合でも、そのままストレートに名前を書くのはためらうもので、大体は本人だけにわかる隠し文字にして残すはずである。
ゆえに「シーン」を「長吉」という代用文字にしたり、「ケイ」を重ねて隠し文字にするのは、むやみにゴッホの心の奥を詮索されたくないという心境が働いたのだと考えられる。
同じようにして「妻」や「妾」の漢字も、色々詮索されたり、勘繰られたりするのを、好まない為に、ハッキリしない漢字にしているのかもしれない。
例えば、「妻」か「妾」かによって二つの解釈が出来るからである。
「妻」の場合、単純な読み方をすれば、妻ケイ、夫は亡き主人しかないので「妻ケイ夫○」(○は亡き主人)となるが、ケイは既に未亡人なので妻ケイという表示は過去となって、時間的に矛盾を生じる。
ゆえに夫とは、現実的な解釈の仕方をすれば、ケイを妻にして、ケイの夫になろうとした人を示し、その夫とは、もちろんゴッホである。
「妾」の場合は、この絵の右側を彼岸の日本とした解釈で、ここでシーンを日本の芸者に例え、身受けして家内にした、つまり結婚したと色紙にこの絵の主題として書いたので、残された方法はケイを妾にするという日本(ここでは彼岸)でのゴッホの願望。
この場合は「夫」つまり「だんな」はもちろんゴッホである。
しかし、後者の場合は伝道師的な生き方をしてきたゴッホにしてみれば、俗欲的な「妾」という漢字を書く事に、ためらうのだろう。
ゆえに、「妻」なのか「妾」なのかによって、意味もまったく違ってしまうが、漢字自体がハッキリしていないので、ここは、ゴッホのプライバシーとしての、理解程度に留めるべきなのかもしれない。
つまり解読の結果、一方の色紙形タイトルの「火(家?)内長吉女」は結婚を承諾したシーンと見る事が出来、もう一方の短冊形のタイトルは結婚を断ったケイという二つの主題がある事がわかった。
すると、ゴッホがこの「雨中の大橋」の絵をゴッホ研究者が言うような単なる浮世絵の模写として描いたのではなく、この絵がシーンとケイを主題とした内容の絵であると、解釈するべきものと言える。
そこで、この絵をゴッホの眼で見れば、誰しもがすぐにハッと気がつくはずである。
つまり、橋の上に描かれている傘を持った二人の女性と、それを追う一人の男性…
そう。この二人の女性こそシーンとケイであり、それを追う一人の男こそゴッホそのものだと気がつくだろう! すると、この二人の女性の、どちらがシーンで、どちらがケイなのか。
そう、色でしか判断出来ず、これこそが色彩で語る人、ゴッホの絵画の特色なのだ。
つまり、手前側の赤いスカートに緑の上着服を着ている人がシーンとなる。
何故なら、この絵の枠が緑の下地に赤のラインと漢字で描かれて、その漢字が上側の「内人長吉」の漢字で解るように、シーンのことを書いているからだ。
実際に、この絵に描かれている傘を持った女性二人と、それを追う一人の男がこの絵の主題となっていて、ケイとシーン、そしてゴッホを表しているのである。
何故なら浮世絵を含めた日本画には、決まった約束事がある。
それは、絵の中に主題の人物を描いた時、必ずその人物の背の方向の位置に作者の落款を書くという約束事である。
ある絵の作品に、後から似せた作者名の落款を書き足す後落款は、この落款の位置の約束事を知らなければすぐに贋作と鑑定のプロに見破られてしまう。
ゆえにゴッホは、この日本画の約束事をきちんと知っているとみえ、傘を持った二人の女性の背の位置にあたる右上部側に、色紙形の主題(火内長吉女)と短冊に書かれた作者名(ケイの夫)を書き加えたと判断できる。
つまり、左下の色紙のすぐ左の短冊の中の文字が「広重画」と作者名なので、この左下の色紙と短冊に対応した、右上の色紙と右横の短冊、つまり右上の短冊の中の文字が「広重画」に対応する、この『雨中の大橋』の実際の作者名と考えられるからである。
その作者とは、この絵の中に傘を持った一人の女性を追う男、その男の背の右上の位置に作者の落款を示す短冊が描かれ、その短冊の文字を解読すると、ケイを妻にして夫になろうとした人、あるいは、左にある色紙が芸者としてのシーンの結婚を意味するので、ケイを妾にしたい夫(だんな)…つまり「妻(妾)ケイ夫○」の○の中はゴッホとなり、ゴッホがこの『雨中の大橋』の真の作者なのだ。
実際に、この『雨中の大橋』はゴッホ作なので当然といえば当然なのだが、この絵を広重画『大はし阿たけの夕立』の忠実な模倣画と見るから錯誤して、ゴッホの名を忘れてしまうのである。
ゆえに、原画である『大はし阿たけの夕立』の図の中に、「広重画」の短冊があったのに、この『雨中の大橋』では、この「広重画」の短冊を絵の外に出しているのは、この絵が「広重画」ではなく「ゴッホ画」だと強調しているからであり、しかも「ゴッホ画」とは書かず「妻(妾)ケイ夫○」として謎めかしているのは○の中の文字、つまりBとか13とかに映る暗示をゴッホの象徴イニシャルとして誇示しているからである。
つまり、13という数字こそゴッホを現す特別数字だったのである。
では、その13の謎の数字の意味とは……。
次号に続く。