『雨中の大橋』の中の日本文字の解読J
14本のひまわりは結婚の花
13日の金曜日の意味
前回“13日付の金曜日の手紙”がゴッホの弟であり、資金的援助者でもあるテオからゴッホに5月14日に届いてしまった事を記した。
ゴッホは、この手紙から2週間後にテオにハガキで次のように書いている。「5月12日以来今日まで、君からの手紙を全然受け取っていない」(書簡203)
つまり、ゴッホはテオの手紙が12日の金曜日に出されたことを知っていながら、あえて13日付の消印という言い方で13の数字にこだわってテオに記した事になる。
テオがいるパリからゴッホがいるオランダのハーグまでは、郵便で当然2日以上はかかるであろう。
つまり、テオが金曜日に投函した手紙は、13日付の消印となってゴッホの手元に14日に届いたというわけである。
すると、ゴッホはこの手紙を受け取るや直ぐに、その日の内に急いでテオに次のように記した手紙を送ったのだ。
「5月13日付の君の手紙を受け取ったが、僕の手紙と行き違いになったと思うので、早急にいくつかの点について君に説明する必要がある……(中略)僕はクリスティンを好きになった。直ぐに結婚という言葉は浮かばなかったけれど、彼女の事が良く判ってくると、もし彼女を救おうと思うならば、真剣に考えなければならないと思った。
そこで僕は彼女にざっくばらんに話しかけた。
『色々な問題について僕の意見はこうである。僕が思うには君の立場と僕の立場はこういうようなものである。僕は貧乏だが浮気者ではない。君は僕との生活に我慢できそうかい。もしだめならば、これですべて終わりだ』
とね。すると彼女は、
『貴方の処にいるわ。貴方はまだかなりの貧乏だけれども』
と言ったのだ。これが今までのいきさつさ。
彼女はまもなくライデンに行くだろう。彼女が戻ってきたら、僕は彼女とひっそりと結婚したいと思う」
とゴッホがシーンにプロポーズした事を、テオにこの手紙の中で打ち明けたのである。
そしてゴッホは更に次のように記述している。
「君はクリスティンと僕との間に起きた関係が、彼女と結婚をする程のものではないと言っている。……(中略)君は今、こう言っている。『フィンセント、貴方は辛い思いをするでしょうし、場合によっては大変な苦労となるでしょう』」
とゴッホはテオの意見を取り上げて記述する。
つまり、ゴッホのこの記述から13日付のテオの手紙の内容が、シーンとゴッホの結婚にテオが反対していることが伺い知れる。
刑死に苦悩するゴッホ
そしてゴッホは、手紙の最後に次のように記述するのだ。
「僕はどんなに危険な状況となっても、こう言うしかないのだ。
『僕とクリスティンはお互いに結婚を約束した。だから僕たちがその婚約を破ることはない』と。
それにしてもこん畜生、一体どうしたことか。
いつの時代に生きていると思っているんだ。目を覚ましてくれ、テオ。詭弁に圧倒されたり、影響を受けたりしてはだめなんだ。僕が身ごもりの女を助け、外に放り出したくないと言ったからといって、僕は君に見殺しにされなければいけないのか。僕たちはお互いに忠誠を誓い合ったのだ。それがいけないのか。本当にそれは死に値することなのか。それじゃあ、さようならだ。
僕をぶんなぐったり、僕の首〈ついでにクリスティンと子供の首もだ〉を切り落とす前に、もう一晩寝てよく考えてくれ。
繰り返すが、もしそうしなければならないならば、僕の首を取ってくれ。でもそうはなりたくない。素描するのに首は必要なのだから」
と、文を締めくくるのである。
そして追伸して、
「クリスティンと子供も首無しではポーズはとれない」
と記述する。
首を切り落とすとか、首を取ってくれとか、随分と物騒な内容の文章である。
一体ゴッホに何が起きたというのであろうか。
当然、物事には順序立てた話の展開というものがある。
ゴッホが異常な人格者だという先入観は、ここでは捨ててもらいたい。
ゴッホの書簡を読む限り、ゴッホは非常に冷静に物事を考え、物事の判断が適切に出来る人格者だとわかるからである。
ゴッホの書簡は全てが残されているものでもなく、日付も1882年3月以降の手紙にはほとんど記されていない。 しかもゴッホの書簡の整理にあたり、テオの奥さんのヨハンナがゴッホの死後24年も経ってから編集して出版したために、日付が違ったり順番が違ってしまったりしているのも多い。
そこで、後の研究者から日付や順番の誤りを指摘されて、その都度直されている場合が多いので、翻訳本によって日付が違っている場合があるし、追加される文章もある。
13日付金曜日の死刑宣告
そこで、今回の問題はテオに宛てたこの手紙(書簡198)の前に、ゴッホがどんな手紙を出したかである。 書簡198の前の書簡197の手紙では、ゴッホが首をかけてシーンとの結婚をするとか、そういう様な類する文章は見つからない。
「ファン・ゴッホの手紙」(みすず書房)では、旧版の「ファン・ゴッホ書簡全集」やオランダ語版になかった書簡198につながる非常に重要な文章が5月14日に出されたと記している書簡193の最後の部分に付加されていたのである。
それはモーヴがゴッホに、
「もう、これで終わりだ」
と嫌悪して卑劣な態度で言った事に対し、ゴッホが彼に対して答えた言葉をテオにも同じようにして、
「ここに私の首があります。私は皆さんに何かの隠し事をして、お金を使わせたことについて、自らを有罪と認めます。
しかし、救わなければならない人の命があり、それについて話しませんでしたが、そうしてでも救わなければならなかったのです。
さて、貴方が私に宣告するように私は有罪であり抗議などしません。貴方の提供したお金に対し、私は作品で返します。
しかし、それで十分でないとおっしゃるのであれば、他にお返しするものがないので私は有罪となります…
(中略)私は最悪の事態を覚悟していますので、少しでも憂慮を与えて欲しいとは望んでいません。
(中略)今、僕は死刑宣告をされたのかどうかはわからない。
イエスかノーか???
もしイエスなら“死に向かう人からよろしく”だ」
と、テオにも間接的に語りかけている文章である。
この文章が何故書簡193の最後に追加されたのかは良く理由がわからないが、ゴッホの手紙の前後の内容からして、この文章のある手紙がテオの13日付の金曜日の手紙と行き違いになったと考えるのが妥当だと判断される。 ゆえにゴッホは行き違いになったテオからの手紙を、後にテオへのハガキで5月12日(金曜日)と記述しているにもかかわらず、あえて13日付の手紙と書いて、死刑宣告された事を弟テオに抗議しているのである。
結婚の14から離別の13
つまり、ゴッホがテオに強く主張している事は、死ぬ覚悟までしてシーンと結婚する気なのだということにある。
それは2ヶ月後のテオ宛の手紙で、「(テオは)ことシーンに関してあまり判っていないようだから、僕たちがお互いにどんなに愛し合い、どんなに仲が良く、そしてうまくいっているかを理解できないだろう……(中略)僕たちがこの土地で家庭生活が出来ないならば、多分、一緒にこの国を離れる。死を選ぶとすれば、それは金がないとか強い人間でなかったというのがほとんどだが、僕の場合は引き離されるならば、死を選ぶだろうよ」
(書簡216 ハーグ1882年7月中旬)
結局、ゴッホのこの強い決意にテオは一時妥協する。
そしてゴッホは7月14日にシーンと結婚生活を始め、テオに内々に結婚した事を手紙で知らせるのである。
ところが、翌年の1883年8月に今度はテオの説得にゴッホが妥協して、シーンと別れることになってしまった。
原因はゴッホとシーンの困窮した貧乏生活と借金の重なりであった。
つまりシーンとの結婚という14の数字から、+1であるシーンが離れて残る数字、つまり13がゴッホの数字となり、それは家族を捨てて芸術に殉教したゴッホの姿だったのである。