『雨中の大橋』の中の日本文字の解読⑯
14本のひまわりは結婚の花
大木のある『種まく人』は3点1組の作品
ゴッホは大木のある『種まく人』(図①)の他に、まったく同時期に『種まく人』(図②)の絵と『イチイの古木』(図③)を描いていた。
2点の絵のデッサン(図④)を見ると対になっていることがわかるが、『イチイの古木』の絵の方が縦長になっていて2枚1組の絵としてはバランスが悪い感じである。
そこでゴッホがアルルに来た時に最初の連作となった『果樹園』のデッサンを調べるとその理由がわかってくる。
「このページの反対側にある3つの方形の図(図⑤)を見てくれればわかると思うが、3つの果樹園の絵は3点1組になっている」
(書簡477 アルル 1888年 4月中旬)
その3点1組の果樹園はこの作品だけでなく、他の果樹園の作品も同じようにして3点1組のスタイルにしていた。
「僕は今、さらに横長の二つの絵の間に入る縦長の小さな桃の木を描いている。‥‥‥(中略)ここにさらにもう1つ、真ん中に入る12号の大きさの絵のデッサン(図⑥)を入れといた」
(同書簡477)
つまりゴッホは3点1組の絵を3組制作したことになるが、それぞれの真ん中の絵は3組とも縦長の絵になっていたのである。
すると別な『種まく人』(図②)は横長の絵で『イチイの古木』(図③)は縦長の絵になっていることから推測すると、大木のある『種まく人』の絵の場合は横長のサイズから、この3点が『イチイの古木』を真ん中にした3点1組の連作となっていることに気付く。
3点1組の作品は浮世絵の作品に多く見られる。と言うよりも浮世絵は個人的な人物の宣伝チラシ用を除いては役者絵や歴史、風俗、源氏絵等の作品は3枚から6枚の組作品となっていて、さらに北斎の富嶽三十六景の36枚や東海道五十三次の55枚等、シリーズもの、いわゆる連作作品のスタイルが多いのである。
ゴッホがパリ時代に歌川広重の『亀戸梅屋舗』(図⑦)の図を写した『花咲く梅の木』(図㉃)をベースにしたアルルの『果樹園』の連作を、浮世絵のスタイルにして3点1組の形にするのは自然の姿だと言えよう。むしろ別な『種まく人』(図②)と『イチイの古木』(図③)が対になった2点1組の連作だと考える方が不自然なのである。
3枚1組の浮世絵は切り離して1枚1枚が1つの絵として見ることが出来るが、3枚そろってこそ初めて全体の意図やドラマがわかる。
ゴッホが持っていた浮世絵の多くはこの3枚1組の浮世絵作品の1枚もしくは2枚という不揃いの作品だった。こういう作品を通称、はぐれ作品と言う。
これはゴッホが3枚1組の作品の中から好きな絵を1枚、もしくは2枚を取り出したというのではなく、始めから不揃いの作品で購入したからである。それだと完全な組作品として買う場合に比べ極端に安くなる。
しかし、はぐれの浮世絵だと絵としては楽しめるが作品の意図や全体像としての物語がつかめない。だからゴッホの内心はゴッホの所有する浮世絵の組として完全な状態の浮世絵を見たかったことであろう。
ゴッホの浮世絵は美術的な価値がないの!?
それにしても、ゴッホは絵の値段で絵の作品の善し悪しを決めつけず絵柄の方を常に最重要視していたことがテオに宛てた手紙から知ることが出来る。
「浮世絵のまじめな収集家に、例えばレヴィに『私にはこの5スーの浮世絵がどうもすばらしくて仕方がない』と言ったとすれば相手は恐らく、イヤ、多分少しむっとして僕を無知と思い、悪趣味だと笑うだろう。全く、昔のリューベンスやヨルダーンスやヴェロネーズを愛好することが悪趣味だと笑われたのと同じだ」
(書簡542 アルル 9月下旬)
浮世絵の値段が5スーという価格はパン1つ買える程度の極端に安い値段であり、今日、芸術品と評価された浮世絵の価格評価からすれば信じられない値段である。
恐らくゴッホはここで5スーの値段である浮世絵を特別に指して、述べているのではないと思う。
何故ならこの記述の前にゴッホは
「しかし、人からどう言われようと、平たんなトーンで色がのせられているどんなありふれた浮世絵であっても僕にはリューベンスやヴェロネーズの絵と同じ理由ですばらしいものだ。
僕は浮世絵が原始的な芸術でないことは十分過ぎる位に知っている」
と述べているからだ。さらに、それ以前のゴッホの書簡でも
「浮世絵はルネサンス前期の絵画やギリシャ絵画のように立派なものだ。又、古いオランダ絵画やレンブラント、ポッテル、ハルス、ファン・デル・メール、オスターデ、ロイスダールのように立派なものだ。〈それは時代によって滅びない〉」(書簡511 アルル 7月15日)
とある様に、ゴッホは所有している浮世絵の最も安い5スーの値段の作品であってもすばらしいもので、浮世絵の絵の評価は価格ではないということをテオにここで強調して述べていると理解すべきだ。
現実にゴッホのコレクションには評価の低い浮世絵師の作品や作家の名前のない作品もある。又、コレクションの多くが前述した様に組作品としては不完全なものや状態の悪いもの、例えば色落ち、色ヤケ、トリミング(絵の周囲がカットされている)、破れ、汚れ等、美術品としては全く評価の落ちる浮世絵が多い。
だからこそ値段が極端に安くてゴッホの経済力でも買えたと言える。
しかし、ゴッホは浮世絵の状態の善し悪しに関係なく、受けた印象や絵柄の好きな作品をビングの店から買っていたことはゴッホの浮世絵コレクションや書簡からも言える。
私も芸術家の一人なので、ゴッホと全く同じ考えであり、ゴッホと同様、作品に対しての心眼の目を少なくとも持っている。ところがゴッホが批判した様に今の美術界も、単なる作品の状態で評価したり、決まりきった有名作家の作品や価格で評価するきらいがあり、一世紀経ても芸術的評価に何の進歩もないのではないかと疑う程である。
そして名前だけの芸術的価値のない作品や、後版の浮世絵作品を、状態が良いからと馬鹿みたいな価格がつけられている現状は、不勉強で鑑識眼のない美術評論家や、美術館にも責任があるとも言える。
広重の東海道五十三次は三流のコピー作品
例えば私が15年も前から指摘しているのだが、1994年に読売新聞の全国版に一面トップで掲載された、私の広重東海道の研究(図⑨)をもっと参考にして欲しいのだ。
歌川広重のあの有名な保永堂版の東海道五十三次の場合、実は初代歌川国貞(三代豊国)の美人東海道と図柄が全く同じで、しかも両者を比べると広重の絵の方はなんと人物や風景が間違いだらけの図になっている。
つまり、広重は東海道を旅して絵を描いたのではなく歌川派にあった原図をコピーしていたのだ。
ところが、広重があまりにも絵が下手な事と世の中の常識を知らないのか、あり得ない構図や文字の写し間違え、季節を逆にしたり、手足の動作が人間でない描写にしている。
恐らくこの一世紀、世界の美術評論家や美術商は、広重の絵をよく見ないで評価しているのかも知れない。
それにしても学校教育で広重の東海道を学生達に絵の勉強として写生させたりすれば、その誤りに誰にでも気が付くのに、未だにだれも気が付いていないというのは、一体日本の美術教育はどうなっているのだろうか。
又、広重の保永堂版東海道五十三次は、実は最初に目録のついた貸本屋向けの画集本として出版されたもので、それを後に美術商や収集家が一枚一枚はがして大判サイズの浮世絵の形にしたから、当然浮世絵の真ん中に折れ目があって、絵の周囲もトリミング状態になっている。
ところがその折れとトリミングのある初版の浮世絵を状態が悪いとして、評価を低くするだけでなく、後に外国人向けに色もやや鮮やかにして、当初の画集や本の形でなく一枚摺りでどんどん刷ったものが、完品として高く売られ、しかも美術館も含め研究者の間で高く評価されている。
そして、欧米で浮世絵ブームになってから、今日一世紀以上も経っているが、状態の良い広重の東海道が高い値段でもてはやされているのは、芸術よりも商品として重宝がられている感があり、印象派の画家達をあれ程夢中にさせた浮世絵の面白さや、芸術性をいづれ人々から無意識に遠ざけてしまう危惧を感じるのだ。
ゴッホは芸術心を持って浮世絵を選んでいたせいか、広重の保永堂版の東海道五十三次の作品を1枚もコレクションしていない。
しかし、他の作家の東海道五十三次の浮世絵なら数多く所有している。
ゴッホの様にデッサンを重要視する人は騙されないのだと思う。ゆえにゴッホは広重の「名所江戸百景」の「大はし阿たけの夕立」(図⑧)や「亀戸梅屋舗」(図⑦)の図柄をそのまま写しても、書簡の中で広重の名を一回も出していない。
ゴッホが褒めているのは北斎であり、ゴッホの書簡の中で日本の画家の名前が出てくるのは北斎だけである。
ゆえに、ミレーの『種まく人』をゴッホが感動して模写したのと同様に広重の作品をゴッホが芸術的にすばらしいと言って模写したと考えるのは早計である。
広重の「大はし阿たけの夕立」や「亀戸梅屋舗」の図を、ゴッホが忠実に模倣したと考えるから絵の廻りの日本文字も単なる装飾として考えてしまうのである。
ゴッホにとって、広重の絵の場合はもっと別な理由、つまり、それこそが『雨中の大橋』(図⑩)や『花咲く梅の木』(図⑪)の廻りに書いた日本文字の中に説明されているのである。
ゴッホはミレーの様な画家になろうとして、デッサンを描き始め、シーンから見せられた「大はし阿たけの夕立」のクレポン(浮世絵のちりめん絵)によって油絵を描き始めて色彩画家に転向した。
ゆえにゴッホはいよいよその総決算として尊敬するゴーガンがアルルに来たその第一歩の絵をミレーの『種まく人』と『花咲く梅の木』の大木を合わした図柄の3点1組にした『種まく人』の連作を描くのである。
その絵の主題は、その真ん中に位置する『イチイの古木』であり、その理由は『雨中の大橋』の日本文字と、『花咲く梅の木』の絵柄と日本文字にゴッホは真意を書いて残していたのであった。