原発による環境及び人的影響23
福島第一原発問題の根本原因
想定外の津波…による原発事故、実は想定内の津波による事故だった
例えば、今問題となっている安全委員会と保安院の関係性については既に2007年に国際原子力機関(IAEA)から保安院と原子力安全委員会の役割が明確でないという事やいくつかの問題点を指摘されていた。
それにもかかわらず、好意的に評価された部分のみを翻訳して発表し、問題点に関しては何の改善もしないどころかIAEAのお墨付きという間違った”安心“”安全“の認識を政府やマスコミ、さらにそれを通して広く一般国民に与えてしまったのである。
また、8月26日の読売新聞の朝刊(写真1)でも明らかにされた様に仮に、福島県沖で明治三陸地震(1896年)規模の地震がおきた場合、福島原発1〜4号機で津波の高さが15・7メートルに達するという試算を東電は2008年春にすでに出していたのである。
しかし、保安院に報告したのは3年後の今年3月7日だった。その4日後に東日本大震災が起きた。もし、東電が試算後、速やかに保安院や国に報告して対策を講じていれば、原発事故を防げただけでなく東北東海岸の住民たちも津波対策や避難訓練を市町村と共に講じていただろう。そうすれば津波による犠牲者の数をかなり減らす事が出来ていたのである。
例えば、茨城県の場合はスマトラ沖地震をきっかけに2007年3月に独自に津波評価を行い、東海村の原子力発電所の河口で津波の高さが7メートル前後に達するとの試算を出した。
これを受けて日本原電は非常用ディーゼル発電機の冷却ポンプ3台の防護壁の高さを4・91メートルから6・11メートルに改修工事をしていた最中に今回の地震が起き5・3メートルの津波を受けた。しかしながら、改修工事が終わった2台の発電機は無事だったため東海第二原発は炉心溶融(メルトダウン)まで至らずに済んだのである。
仮に、東海第二原発が福島原発と同時に同じ様な原発事故を起こしていたら東京を含む関東全域は強い放射能汚染によって人の住めない世界となっていたかも知れないのだ。つまり、ちょっとした安全への注意と改善努力で日本の首都が助かったとも言えるのである。
それに引きかえ東電は専門家の警告や改善努力、さらには総合的な事故防止対策さえもまったくおろそかにしてきた結果とも言うべき、必然的な想定内の津波による原発事故を起こしたと言えよう。
政府は法令でSPEEDIの情報を国民に公表しなければならない事になっている
そのような政府・東電の無知、無策の結果と言うべきか、東日本大震災が起きた3月11日の夜、菅首相は首相執務室に、東京電力、原子力安全・保安院、原子力安全委員会の限られたメンバーだけを集め、原発事故防止の緊急対策を話し合ったのだが、彼らは一様にして”教科書“的な数値を並べて、口々に「たとえ放射線を一時的に浴びたとしても、直ちに健康に影響しません」という言葉を繰り返すだけで何の事故対策も住民の安全性対策も講じられなかったそうである。
しかも、彼らが菅首相に差し出した教科書的内容が書かれたペーパーには、低濃度の放射線が洩れる可能性はあるが、胃のX線検診で浴びる放射線量よりは低いとするデータが書かれていたと首相は述べている。
この言葉はその後、テレビで何度も国民に垂れ流され、想定内の勉強しかしてこなかった専門家や学者達の教科書的キャッチフレーズとなり、日本国民が呆れるほどに聞かされてきた事は周知の事実だろう。
”安心“”安全“を菅首相に口説くのはいいが、そこには福島第一原発周辺で計測した放射線量のデータもないし、第一原発から30キロ以上離れた北西部の飯舘村などで高濃度の放射線量が計測されていたことも知らされていなかったと言う事である。何とおそまつな事故対応であろう。
と言うのも、福島原発の現場では1号機の原子炉に繋がっているパイプが地震で破損し、放射能を帯びた水蒸気が建屋内に充満して1時間当たり106ミリシーベルトという強い放射線量が計測されていたのに何故、東電や保安院、安全委員長と共に一緒にいた首相の耳元に知らされていなかったのかが大きな疑問である。
しかも、3月11日の17時からスタートしたSPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)は配管からもれた放射能汚染水蒸気が原発周辺に測定されて、その時の放射線量の拡散状況を計算していたはずなのに何故、首相はそれを知らなかったのかだ。
と言うのも法令で政府はSPEEDIの情報を国民に公表しなければならないから、当然いち早く首相に伝わっていなければならない。ところが菅首相が周囲の住民に避難命令を出したのは地震が起きてから6時間半以上、SPEEDIが動き出してから4時間半近くの時間が過ぎてからなのだ。
菅前首相の元に集った専門家達と一般常識を持った研究家や専門家達との違い
私はこの時間、福島原発より300km以上離れた大町市にあるカラオケ屋で歌を歌っていたが、喉が枯れていつもと違って変だなと思っていたのである。又、そこに居合わせたスタッフも鼻水が出て喉のリンパ腺が腫れて痛いと言うと、他の人も私も全く同じ症状だと述べ、そこで何かあったのかなという話になった。
結局、福島原発から放射性物質が拡散された事が原因だとわかったので原発周辺ならどれだけの放射能が撒き散らされているのかと考えると恐ろしさを感じたのである。
そんな状況なのに、政府はたった半径3kmの円心状の拡囲に住む住民達だけに避難命令を出したのである。と言うことは、菅首相の元に集まった専門家達はチェルノブイリ原発事故の放射線汚染分布図の事も気象学的見地での大気汚染拡散現象の事もまったく知らないというより勉強していなかったと考えられるのだ。
つまり、放射性物質の拡散は同心円状ではなく風と地形によって特定のエリアに拡散されるという知識と、高濃度の放射線量が原発周囲に拡散されているという認識が彼らの頭に全くなかったと言えるだろう。
それに対して、一般常識を持った研究者達はいち早く大気中の放射性物質の拡散状況をコンピューターでシュミレーションして発表していたというから、菅首相が集めた専門家達は一般の研究家や専門家達より相当レベルが低い人達だったとも言えるだろう。
それゆえ、菅首相の元に集まった専門家達が考える対応策というものは文部科学者が運用するSPEEDIの情報を安全委員会に移し変えたり、各自治体が観測した放射線量をむやみに公表するなと責任回避の情報隠しを行う事しかしなかったとも言える。
その様な流れの中で日本気象学会が3月18日付けでホームページに「学会の関係者が不確実性を伴う情報を提供することは、いたずらに国の防災対策に関する情報を混乱させる」と述べて防災対策の基本は政府が出す情報つまり、SPEEDIだけにすべきだと会員達に通知されたのである。
と言っても、実は肝心なそのSPEEDIの情報は全く公開されず、3月22日での参議院予算委員会で社民党の福島みずほ議員からデータの公開を求められてから、やっと次の日の23日にたった1枚(写真2)だけが公表されたという状況なのである。
(次号へ続く)