放射線災害の歴史と現状C
来年7月に新潟県上越市の火力発電所が運転開始
恩田氏と著者はチェルノブイリ4号炉を取材、日本国民に日本の原発の危険性を訴えた
恩田氏とは2006年のチェルノブイリ原発事故20周年の時に、私と一緒にウクライナ国にあるチェルノブイリ原子力発電所まで行って事故のあった4号炉の中の取材を世界に先駆けて行なうなどの同志と言うべき仲なのである。
彼は、週刊現代の特集記事(写真1)を書き、私は4月24日に放送された筑紫哲也の「NEWS23」のニュース(写真2)に登場して4号炉の内部の様子(
写真3)を日本全国の視聴者にお見せした。そして、どちらも他国だけの話としてではなく、浜岡原発を主体とした日本の原発の危険性を日本国民に訴えたのである。
この結果、この年の9月19日に原子力発電所の耐震設計の見直しが行なわれ、結局、浜岡原発の1号機・2号機は我々の主張通り耐震性がクリアできない為に2009年の1月に運転を終了して廃炉となった。
その後、まるで廃炉を待っていたかのように、その年の8月11日に静岡県御前崎岬沖の駿河湾を震源とするM6・5、震度6弱の地震が起きた(静岡沖地震)。
4号機は点検のため運転停止中。3号機と5号機は自動停止したが5号機の地盤は軟弱で震度5の揺れが増幅して震度7相当の揺れになってしまった為に、制御棒約250本のうち、30本が故障した。
中部電力が「日本の全原発の中でも最高の耐震性を持つ」と自慢した最新鋭の大型原子炉だったのだが、一階の東西方向の揺れが、488ガルと「設計用最強地震S1」である484ガルを軽く超えてしまったのである。
上越火力発電所は最もクリーンな 天然ガス発電所で、トータルで 238万キロワットの出力
設計用最強地震S1とは想定される最強の揺れに耐えられる機械部品などの限界値の設計の事。
そこで、日本最強の耐震性を持つ浜岡原発5号機の「設計用最強地震S1」が484ガルに対して、静岡沖地震の一年前に起きた、マグニチュード7.2の岩手・宮城内陸地震の場合、岩手県一関市西で最大加速度4022ガルが記録された事と比較すると、なんと!一桁も数字が違うのに唖然とする。
「日本の全原発の中でも最高の耐震性」というレベルがいかにも砂上の楼閣ならず、砂上の原子炉である事を端的に国民に示していると言えよう。
ましてや、それ以下の耐震性しかない老朽の原子炉を今なお日本各地に多数運転している現状を考えると政府、電力会社は一体この問題をどうとらえ、どうこれから対処するのか?福島原発事故の後だけにまじめに考えると不安が尽きないのである。
それゆえ、福島原発1号機が図1の表からも258ガルの上下運動、もしくは447ガルの東西方向の揺れで致命的な配管破断が起きてメルトダウンしたことからも、同じゼネラル・エレクトニック社製のマークT型で、しかも老巧化した原子炉である浜岡原発1号機・2号機がもし廃炉でなく運転していたら東西方向で448ガルを観測した静岡沖地震クラスでも福島原発のように大きな原子炉事故となっていたであろう。
もちろん、静岡沖地震がマグニチュード8を超えるような予想された東海地震だったら間違いなく浜岡原発は3号機・5号機とも次々と原子炉が崩壊して爆発していたであろう。
そうなると東京、名古屋を含む関東・中部圏は放射能の雨にみまわれ、居住不可能となる程の大惨事となっていたのである。それなのに、出力が138万キロワットとチェルノブイリ原発4号炉や福島原発の各原子炉よりもはるかに大きい5号機は地盤が軟弱な欠陥原子炉と知りつつも2011年1月28日に再び運転を再開させてしまったのである。
ところが、3月11日に東日本大地震が起き、福島原発が次々と大爆発をすると菅首相は5月6日に浜岡原発を全面停止した。その後、中部電力は需要に追いつかないと騒いだが、この夏は何も問題が起きなかった。
しかしながら、今年の夏は節電で乗り切れたが来年は心配だという反論もあるが、浜岡原発の3号機、4号機、5号機が仮に運転したとしても合計出力は361・7万キロワット。しかも、今までの浜岡原発の平均稼動率は、50パーセント位なので、トータルして180万キロワットしか発電出来ていない。
そんな状況の中で、来年の2012年7月、新潟県上越市に建設された上越火力発電所がいよいよ運転を開始する。最もクリーンな天然ガス火力の発電所で、トータルで238万キロワットの出力がある。そうなると危険な原子力発電所なんかまったくいらないことになる。それでも、原発が必要だと騒ぐのは”利権“と”金“で生きている原子力村の人達のわめき声をマスコミが批評することもなく、ただ垂れ流しているだけと言えよう。