東日本大震災のゴミ処理問題を考える
話し手・・・五井野正聞き手・・・石塚由紀子(あおぽ編集長)
前回の対談では、今から38年前の昭和49年7月、富士山の五合目に観光客が捨てた多量のゴミや空き缶が五合目周辺の沢に捨てられているのを環境保全と美化の観点からウイッピー総合研究所の五井野正所長が日本国民に広く問題定義をしようとトラック2台を繰り出して”富士山をきれいにする運動“を始めたことや、同8月1日、富士五湖の1つ、山中湖で行われた山中湖報潮祭に地元の青年団と協力して空き缶フェスティバルを開催し、富士五合目や富士五湖で拾い集めた3万個の空き缶で”空缶寺“を建立し(写真1)、NHKや大手4大新聞のニュースとして全国民に話題を提供した事をお伝えしました。(資料1)今回も引き続き、空き缶に象徴されるゴミ問題をどう解決してそれによってどう日本国民の意識を変えていったかをお聞きし、今回東日本大地震によって起きたガレキ処理問題解決に参考になればと願う次第です。
特別インタビューC
当時は富士山だけでなく北アルプスの立山でもゴミや空き缶の散乱問題が深刻だったようですね。それで、その問題解決のために立山でも空缶寺を建てて、小川宏ショーで生中継されたというお話でした。
そうです。でも、これは富士山の場合と違ってフジテレビ局から先に4〜5人分位の交通費が支給されて、しかも現地集合だったんですね。そこで、資金援助も寄付も全くない私たちにとっては有難い話でした。
交通費を節約するために車1台に全員が乗って川崎市から長野県大町市まで行き、そこからトロリーバスやケーブルカー、そしてロープウェイでの黒部アルペンルートで立山まで行くのですが、自然が好きな私たちにとって8月7、8、9、10の4日間はまるで夢みたいな日々でしたね。
しかしながら、私たちはタレントではなく運動家なので新聞(資料@)にも「寺は高さ五メートル。メーカー名を書き込んだ十基の墓が周囲に立ち並び、入口には空カン公害をなくすために国や企業あてに『カンジュースなどは売るだけでなく、回収体制と責任を持ってプレス機械を導入、積極的な姿勢を・・・』と書き込んだ立看板を立て訴えている」と書かれているように国や企業にも回収責任と協力を求めていた訳ですから必ずしも喜んでばかりはいられなかったのです。
と言うことは、国や企業は空き缶問題に関してどう協力しなければいけなかったのでしょうか?
それが問題です。と言うのも、空き缶は大半が鉄でできていますからゴミとして埋め立て処分するのではなく、資源としてリサイクルできる訳です。しかし、空き缶の中は空洞なので、業者は缶の状態のままでは空気を運ぶようなものだから嫌がり、それゆえ空缶を潰さないと現実には引き取ってくれなかったのです。つまり空き缶は潰して空洞を失くさないと空き缶のリサイクルができないのです。
しかも、空き缶を回収するにも自動販売機の横にゴミ箱がないので消費者は当然飲んだ後、捨てる場所がないのでポイと道路に捨ててしまうから回収するのに大変どころか、道路や野山を汚してしまうのです。
飲料メーカーもそれを知ってて売っている訳ですから飲料メーカーに自動販売機の横にゴミ箱を設置してくださいと要望書を出した訳です。さらに、缶を造る製缶会社や鉄板を売る製鉄会社にも要望書を出したのです。
あーなるほど、空き缶公害の責任は飲料メーカーだけじゃなかったんですね!
そうです。空き缶問題に関わっている企業は全て責任と協力が必要なのです。だから立山に行く前に製缶会社にもその旨を伝えてしまったのです。だから番組では空缶寺の境内に置いた企業名を皮肉った○○家という墓(空き缶をプレスした長方形のかたまりでできた墓)をあまり映さず、また、私たちの主張がかなり短くされてしまったのです。それで、黒部観光の御曹司のような方が、テレビ局に私たちの趣旨がキチンと伝わっていないと強く抗議したんですね。
へえ、それで?
私たちはテレビの限界を知っていたから、つまりスポンサー企業あってのテレビですからその人に少しでもテレビに出られるだけでも十分ですと言うような事を言って争いを止めたんですね。
と言っても、ずいぶん昔の事ですから、どう言ったか、正確なことは忘れてしまったんですが、印象に残っているのは、テレビ局のディレクターが嫌な顔をしていたこととそれに反して、抗議をした人が私たちを非常に尊敬してくれて立山高原ホテルにタダで泊めてくれたことです。どうやら、そこの支配人だったようです。
野外でその人と一緒の食事をしていた時にマネージャーみたいな人が来て、支配人があんなに喜んでいる姿を初めて見たと私たちに感謝してくれた事をよく覚えています。
次の日、支配人が私たちに好きなだけ泊まってくれと言われたけどやることがたくさんあるのでと言って辞退して帰路についた訳です。今でもその時のありがたさと心の触れ合いを感じています。
そうですか…いい話ですね。ところで、企業に出した要望書はその後どうなりましたか?
返事を丁寧に出してくれた企業もあったけど、残念なことに缶飲料のほとんどのシェアーを持っていたトップメーカーがまったく無しのつぶてでした。これでは自動販売機のほとんどが空き缶回収専門箱の設置が不可能ということになります。
しかも、それだけではなく、山中湖の報潮祭において”歩け歩いて空きカン回収運動“を行った時に一緒に歩いて空き缶を拾ってくれた参加者たちにその企業の飲料商品と企業名入りのコップを配ったのです。
それゆえ、私たちの運動がそのトップメーカーのキャンペーンキャラバン隊のように参加者からも廻りからも思われてしまったことは心情的に耐えられない思いでした。そこで、富士五湖で拾い集めた空き缶をメーカー別に分けてそのトップメーカーが消費者に売って富士五湖に捨てられた1万個の空き缶に対し、回収責任をはっきりさせるために富士吉田まで取りに来て欲しい旨を告げ、回収責任を拒否した場合は8月29日そのメーカーの本社前まで運んで”空缶のお返し運動“を行うことをメーカ側に知らせました。
結局、回収責任を明確にしないどころか私たちの運動そのものを批難する態度を取材記者にしたので、実力行使を決行することになりました。
当日の朝に朝日新聞(写真2)、NHKが大々的にこの事を報道したのでみんな増々興奮してしまった(笑)。
そして、その日の午後、私たちは渋谷駅の忠犬ハチ公前に1万個を満載したトラックを横付けして、駆けつけた報道陣の前で私はギターとハーモニカを同時に弾いて、さらに同時にカスタネットをたたいてデモンストレーションをしたんですね。
このニュースはテレビや新聞だけでなく全世界にも数紙の英字新聞(写真3)によって報道されることになりました。
この実力行使の前に私は渋谷の飲料メーカー本社で担当部長と3時間に渡って話し合い、結局、トップの飲料メーカーは自動販売機の横に自主的責任として空き缶専用回収ゴミ箱の設置と富士五胡の町村に空き缶プレス機(カンペコ)を寄贈することを約束したので実力行使を中止した訳です。