五井野博士×あおぽ編集長 特別対談
ゴッホの心を描いたワールド絵画
・ゴッホの連載記事を開始したのが丁度10年前の『あおぽ』Vol・352(2003年3月7日)「ゴッホは日本語を知っていた」からでした。
「そうでした。そのゴッホの連載の中でゴッホと結婚した娼婦のシーンを”芸者長吉“に例えた絵の説明をしましたね。」
・覚えています。ゴッホは独身ではなく、結婚していたのですね。
「そうです。あおぽでゴッホの連載中にゴッホの手紙(Vol・355[2003年3月28日発行])で紹介しました。それは、「1882年7月13日(水曜日)付けの弟テオに宛てたゴッホの書簡で、
『結婚の約束は二重になっている。先ず周囲の事情が許し次第、届け出結婚をするという約束。
第二には、…(中略)あたかも既に結婚生活を続けていたかの様に互いに慈しみ合い、何事も分け合い、どんな事があっても離反しない様に完全にお互いの為に生きる、という約束だ。………(中略)取りあえず法定結婚の問題は僕が自分の手で作品を売って、もっとお金が入るような状況になるまで、このままにして置いて欲しいということだけをお願いするよ。』
と、シーンと内々に結婚している事を弟テオに告げているからです。しかも、届け出が必要な法定結婚は家族が許してくれる場合、もしくはゴッホが画家業として自活できた時に出すという事をテオに告白していました。」
・ゴッホは公式に結婚出来なくて可愛そうですね。現代だったら結婚届けがなくても事実上、双方の合意があれば結婚していると認められますよね。悪くても内縁の妻として認められるでしょう!?
「そうです。事実、その手紙の一週間前の7月6日に
『僕が彼女を妻として迎えているという事をお父さんが許してくれればいいのだがと二人で真剣に考えている事なのだ。』(書簡212)
と、テオに述べています。それに、ゴッホの性格からして、
『僕らは自分たちの立場に何かしら歪んだもののあるのは厭で、結局は結婚が、噂話を黙らせたり、僕らが非合法に同棲しているという批判を防いだりするための唯一の根本的な方法だと考えている。
もし二人が結婚しないとすれば、何かやましいことがあるように言われるだろう。』(書簡198)
『彼(ゴッホの父親)は僕が彼女(シーン)と結婚する事を認めないだろうが、もしも僕が結婚をしないで彼女と同棲なんかしたら、もっと悪いと考えるだろう。』(書簡204)
と、同棲する時は必ず結婚していることが前提であるというゴッホの考え方と気持ちがテオに宛てた手紙の中ではっきり示されていると思います。」
・でも、ゴッホの研究者や学者たちはどうして、ゴッホとシーンの関係を単なる一年半の同棲生活だったと言ったり、「常識はずれの破廉恥な生活」などと悪口を言うのでしょう。ゴッホの切ない気持ちがわからないのでしょうか?
「わからないというか、それはゴッホ研究者の偏見もしくは勉強不足でしょうね。学者の顔をしていても基本的なゴッホの書簡さえ読んでいない人が多いからです。」
・ひどいですね。それで、よく学者の顔をしていられますね。
「まあー、そんなに怒らないで。学者の頭なんてそんなものです。だからゴッホが1887年パリ時代に『花魁』(写真1)と称された絵をかきましたが、この絵の原型は浮世絵師英泉の縦2枚続きの花魁が描かれた浮世絵(写真2)です。
この浮世絵を林忠正が左右逆にして『パリ・イリュストレ』の日本特集の表紙(写真3)に使いました。ゴッホはこの花魁の絵の背景に特別なメッセージを描き込みましたが、ゴッホの研究者は単なる日本趣味の”浮世絵写し“程度しか理解していません。しかし、この花魁の着物の図柄を見てください。」
・竜の図柄ですよね。
「そうです。前回でも述べましたが、竜女は西洋では悪魔の女、つまり、娼婦の意味を持っているのです。ゴッホの『花魁』の左側を見てください。2羽の鶴が描かれていますよね。左(西欧)を表すパリでは鶴は立ちんぼの娼婦を表す隠語でした。
それはゴッホが失意の時に出会ったオランダのハーグの港に立ちんぼの娼婦をしていたシーンのイメージを表現していると見て良いでしょう。
そのような見方で考えると、ゴッホの『花魁』の絵の下部に描かれている沼の中のカエルはパリの隠語で娼館の中の娼婦を意味します。そこで、左部を西欧とすれば下部(南)はインドにあたりますね。そうすると、沼の中の白蓮はサンスクリット語では「白蓮の教え」、漢訳では「法華経」を表します。
つまり、南側のインド仏教、法華経によって竜女(娼婦)が成仏(天国)するという絵になっている訳です。それが上の図(天国)のボート遊びをしている男女の図として描かれています。
と言うことは、この絵は前回でも述べたようにゴッホが白蓮の教え(法華経)によって妻であるシーン(竜女)と共に天国に行きたいと仏陀に願った心の曼荼羅の絵になっているんですね。」
・なるほど、そういう見方だとゴッホの絵の見方が全然変わってきますね。と言うことは先生の『鏡の中のホッホ』(写真4)もゴッホの願いを掴んだ上での浮世絵からのメッセージになっているのですか?
「そうですよ。具体的に言えば、ゴッホが集めた浮世絵の中にゴッホにとって運命的な歌川豊国画の3枚の鏡絵(写真5?1、2、3)をとおしてゴッホの心の姿を和鏡の中に描いているのです。」
・なるほど。先生の『鏡の中のホッホ』の絵はゴッホが愛していた鏡絵の浮世絵をモチーフとしていたのですね。
「そうです。ゴッホもこの鏡絵の浮世絵をモチーフとして絵を描いています。例えば、1887年のパリ時代に『タンギーじいさんの肖像』(写真6)を描いていますが、その絵の右下にゴッホが愛した『芸者長吉』(写真5?3)の浮世絵から長吉の肖像図を写しています。ところで、長吉というのは男性名ですが、江戸の深川芸者は男性名で呼ばれていたのですね。」
(つづく)